はじめまして、宇里あかです。
ここでは僕のプロフィールやこのブログで伝えたいこと、
なぜ情報発信をするのか?ということや、
それに至ったきっかけを話したいと思います。
僕は現在、引きこもりのような生活をしながら、
場所にも時間にも縛られることのない、
インターネットを使ったビジネスをしています。
ネットビジネスのことを知ったのは2年ほど前のこと。
それまではビジネスの知識なんて皆無でした。
ネットビジネスと聞くと、
「なんだかあやしいな」と思う人もいるかもしれませんが、
実はこのブログを書くということもその一つなんです。
ブログを書くことが一体どうビジネスと関係があるのか?
僕も実際にこのネットビジネスの知識に出逢うまでは、
ヤフオク!やメルカリでものを売ったり、
amazonやYahoo!ショッピングなどの
ネットショップに出店することくらいしか、
インターネットを使ったビジネスなんて想像できていませんでした。
僕が取り組んでいるのは、
そういった物販や転売、さらにはFXやMLMなどではなく、
インターネット上に集客から販売までの仕組みをつくり、
自動的に売上が上がるビジネスモデルを組む
というものです。
最初の頃は、
「は?仕組み?」「システム化する??」
「なんじゃそりゃ????」「わけわからん」
という感じでした。
僕がネットビジネスを知ったばかりの頃は、
昼も夜も労働にまみれるような生活をしていたので、
移動中に耳にイヤホンを突っ込んで起業家の音声を聴いたり、
休憩時間にスマホで起業家のメルマガを読んだりして、
少しずつ、そのなんだか得体の知れないビジネスについての
知識をあつめていきました。
学習を進めていくうちに、
理不尽なストレスに耐えながら、毎日馬車馬のように働くのが当たり前、
不自由な生活を我慢して受け入れていくのが当たり前、といった、
身も心もボロボロになるようなそれまでの生き方の常識が、
音をたててガラガラと崩れていくのを感じました。
今となっては、次々に新しい知識を学ぶことだったり、
これまでは気づけなかった考え方に触れるのがたのしくて、
労働まみれだった日々からは想像もできないような
充実した毎日を送っています。
そんな僕の、今の新しい常識を箇条書きで紹介します。
そんなこと本当にあるの?と思うかもしれませんが、
これは事実です。
- 収入は労働した時間に対して支払われるものという常識が崩壊
- ネットビジネスの知識があれば収入を得ながら自由な時間も手に入る
- インターネット上に24時間回り続ける仕組みを作れば収入を自動化できる
- 年収数億円の起業家と出逢い日常で触れる情報の濃さが一変した
- 自由度の高い今までは見えなかった可能性が見えるようになった
- 普段の生活で触れるあらゆるものを収益化できるビジネスの視点は新鮮でたのしい
- MacBook1台でどこででもライフワークができる
- 読書なんて全然しなかったのに月10冊以上本を読むようになった
- 身体や脳の仕組みも知るようになってビジネスをしてるのになぜか健康的になった
- 心の仕組みがわかって思い込みや苦手意識が外れていき素直に学べるようになった
- 知識が増えるのがたのしくて毎日ワクワクしながら過ごしている
などなど、これが今の僕にとっての当たり前の世界です。
日勤夜勤を繰り返す毎日に忙殺されていた当時の僕には
想像もできなかったような出会いや学びがたくさんあります。
僕は高卒で大学にも行っていませんし、
もともと勉強が好きだったわけでもなければ
そんな習慣なんて一切ありませんでした。
会社に雇われて働くことしか知らなかったので、
「ビジネス。。とは。。?」みたいな感じでした。
そんな僕がどうして上記のような状態になったかというと、
それまで知らなかった知識に触れるきっかけがあったからです。
幸運としか言いようのない、偶然の出会いでした。
いろんなことを学んでいくうちに、
世の中にはお金も時間も自由な人たちがたくさんいることを知りました。
それは一握りの才能に恵まれた人たちだけの世界の出来事ではなく、
パソコン1台と正しい知識さえあれば、
何の取り柄もない僕のような人間にも
できることなんだとわかりました。
今でこそそんな心身ともに充実した日々を送っていますが、
僕はもともとコンプレックスだらけで、
毎日がストレスで、今までの人生のほとんどを
物事の常識やお金の常識に縛られて生きてきました。
小さい頃から人見知りで人前で話すのも苦手だし、
取り立てて誰かに自慢できるようなものもなく、
あまりお金のない家庭で育ったので、
いつも揉め事が起こるし、家にいるのが嫌で、
とても心が窮屈な毎日を送っていました。
大人になってからも
毎日生活のための労働に拘束され、
時に理不尽なストレスに耐えながら、
窮屈な当たり前が続いていく、
いつも変わることのない日々でした。
そんな日常に光を射してくれたのが、
インターネットで起業するという選択肢との出会いでした。
このブログのコンセプトは、
ただ消費する日々を、
たのしみをつくり出す日々に変える
そのためのきっかけになること。
本当はやりたいことがあるのにあきらめていた過去の自分に、
「自分は変われない」「どうせ無理」と思う人たちに、
自由な生き方を、新しく変わっていける可能性をあきらめないでほしい。
「そんな方法があったんだ!」って気づいてほしい。
そんな想いで発信しています。
未来に希望を持って、
たのしみをつくり出す日々に変えるためには、
金銭的な自由
時間的な自由
精神的な自由
身体的な自由
この4つの自由度を上げていくことが必要です。
なぜならこの4つは密接に関係しているからです。
生活していくためにはお金が必要なので、
そのためには働かなければいけません。
でもそうすると今度は時間と心の余裕がなくなります。
逆にお金があれば、
その2つの問題は解消されます。
お金があればそれは自信につながるし、
精神的な余裕も生まれます。
会社に依存しなくても自分の力でお金を稼ぐことができて、
お金を生み出す仕組みがわかっていて自由度が上がれば、
心にも時間にも余裕が生まれ、人にやさしくなれます。
どこか身体の調子が悪くなったりしても、
お金があれば治療もできるし、予防のためにジムに通ったり、
整体に行ってメンテナンスすることだってできます。
このようにこれら4つの自由は密接に関わっています。
このブログでは、僕の経験や、
尊敬する起業家から学んできたことを通して、
時間を増やして、心も身体も健康になって、
消費するだけの日々から本当の意味で自由になる方法を書いていきます。
このような発信をしていく上で、
僕の過去の経歴を共有しておくと、
よりこのブログの内容を理解しやすくなると思います。
なのでここからは、
僕の過去の物語と、このブログの理念を共有させてください。
ーーーー宇里あかの物語ーーーー
僕は小学校、中学校、高校、そして大人になってからも、
常に心が窮屈で、お金に縛られた日々を生きてきました。
親と心が通わず、自分の価値観を否定され続け、主張しない人間になった少年は、やがて好きなことをあきらめて引きこもりになった。無力感に苛まれくすぶっていた少年は日常を抜け出すために家を出て、自分だけの自由な生活を手にする。再スタートとなる職場で出会った相方と暮らすようになり、これまでになかった様々な喜怒哀楽を経験するが、ただ耐えるだけの仕事をくり返す毎日が苦痛になり、職を転々とするようになる。やがて自身の無知と未熟さ故に新しい家族に別れを告げられ、人生が白紙になる。再び一人で生きていく状況を受け入れていくが、昼も夜も労働に追われる日々に忙殺される毎日。そんなある日、同僚に詐欺にあったことをネット上の知人に相談したのをきっかけに、ある起業家の存在を知ることになる。。
小学生・中学生〜お金がなくて常に揉め事のある家庭
僕は小さい頃から人見知りで、恥ずかしがり屋だった。
親が近所の人なんかに「うちの子は〇〇で」とか、
あることないこと言われるのが嫌で、
それが人見知りに拍車をかけたりもした。
そのやりとりはなんだか、
子供を引き合いに出した見栄や、
都合のいい取り繕いのように、子供心に感じていた。
僕の両親はともに東京の出身ではないけれど、
僕は東京で生まれ東京で育った。
といっても、都心ではなく郊外のほうだ。
自転車に乗って橋を渡ればすぐに隣りの県に行けるようなところで、
よく川沿いの土手に遊びに行ったりしていた。
溝にザリガニがいて、それをつかまえたり、
土手の斜面をダンボールですべったり。
あまり裕福とは言えない平凡な家庭に生まれ、
一人暮らしを始めるまでの歳月は、
少なからずお金の問題も含んだいざこざや、
家庭内の居心地の悪さ、
自身の無力さによる閉塞感などとともにあった。
家にいるよりも、外で学校のともだちと遊んだり、
ゲームをしている方がすきだった。
小学生のころはドッジボールとかバスケとかサッカーとか、
学校の同級生なんかとひたすら走り回っていた。
体を動かすことや体育の授業なんかは、
べつに優秀だったわけではないけれどたのしかった。
一方、家では当時から、
親には自分のことが理解されていない
という思いがあった。
というよりは、
「親が正しいのだから、子供は親の言うことを聞け」
という一方的な価値観。
僕には何かを主張する権利は与えられず、
人権がなかった。
「自分はこう思う!」
という主張はさえぎられ、
「親に口答えするな!」
「誰が飯を食わせてやってると思ってるんだ!」
と、理不尽に怒鳴られた。
いつもビクビクしていた。
それでも自分の主張は失わずに、
心の中に守っていた。
でもそれを伝えようとしても、
何も生まないし、悲しいだけだ。
「おれはこういう人間だから変わらない」
父親はよくそう言っていた。
僕はずっと聞き続けていたその言葉が大嫌いだった。
そんな環境の中で、
僕は次第に本音を閉じ込めるようになっていった。
心はどんどん窮屈になった。
当時、細かい内容はよくわからなかったけれど、
両親はお金のことでよく揉めていた。
不機嫌な親の影響力は、家庭内のすべてを支配した。
その空間にいるのはたまらなかった。
嫌で嫌で、家出をしてみたこともあった。
でもお金もない、どこに行っていいかもわからない。
一人で生きていくすべもわからない。
夜は寒くてこわい。
結局自分の力ではどうすることもできず、
仕方なく家に引き返した。
自分が無力すぎて悔しかった。
学校や家の外では、
友だちと遊んだり、それなりにたのしく過ごせていた。
それが救いだったかもしれない。
それでも、
人見知りや恥ずかしがり屋は
隙をついて出てきてしまうけど。
友達の家に遊びに行ったりすると、
そこにある家庭の感覚が心地好かった。
ある日、友達の誕生日会によばれたときに、
そこでお好み焼きを出してもらったことがあって、
それがめちゃくちゃおいしくて、
誕生日を迎えた本人や、他の友達はもう食事をすませて
外に遊びに行ってしまったのに、
僕だけ残って2回おかわりしたのを、
よく覚えている。
夜の公園のブランコで、
ふと妄想した。
誰か大切な人と
手を繋いで星空を見上げている
そのイメージがいまでも妙にあたまに残っている。
僕はしあわせに憧れていた。
その頃から、
自分の置かれた現実と憧れとのギャップを
強く意識するようになった。
高校生〜好きなことをあきらめて引きこもりになる
高校は、住んでいるところからすこし離れた
学区外の高校に行った。
中学生の頃、
Jリーグのスターに憧れていた僕は、
サッカー部でなかなか充実した部活動を送っていた。
そこで個性豊かな仲間たちと一緒にプレーするのがたのしかった。
だから高校を選ぶときもサッカーをすることを考えていて、
特に部活が強いというわけではなかったけど、
グラウンドが広くて、学校説明会での印象がよかったという
それだけの理由で、その高校を選んだ。
ところがわかってはいたことだけど、
高校では、中学で一緒にプレーした仲間たちとは離れ離れになって、
交流していた友達もまったくいないまっさらな環境に一変した。
慣れ親しんだ環境を離れると途端に、
それまであまり意識することのなかった
うまく主張できない自分が顔を出した。
無意識にうまくいっていた人との交流が、
どうやってうまくいっていたのかわからなくなってしまった。
もちろん高校でもサッカー部に入ったけど、
どんどん内向的な性格に引っ張られていった僕は、
うまく仲間と交流できず、
中学生の頃のようにサッカーや学校生活を楽しむことができなかった。
家でも、
「サッカーなんてやっててもプロになれるわけじゃあるまい」
と言われ、
それまで夢中になっていたことへのモチベーションは
次第に失われていった。
たしかにプロになれるような実力はなかった。
でも、ヒーローに憧れたり、尊敬したりしながら、
それまで心からたのしめていたサッカーは、
僕の生きていくための大きなエネルギーだった。
高校3年生の途中で、
サッカー部を辞めた。
それまで何かを自分から途中でやめることはなかったと思う。
初めての挫折だった。
やがて高校を卒業すると、
アルバイトをやったりやらなかったりの
無気力な引きこもりになった。
毎日に活力を持てず、
鬱のようになった。
もう親の世話にもなりたくないし、
勉強をする気力も持てない。
大学に行くという選択肢は僕の中になかった。
部屋にこもり孤独感に押しつぶされながら、
あるとき突然過呼吸になって、
死ぬかと思った。
家は居心地が悪く、
かと言って自立することもできず、
間違いなく人生で最低最悪な、最も苦しい時間を過ごした。
音楽に触れている時間がわずかな救いだった。
音楽に生かしてもらっていた。
「しあわせになれ!しあわせになれ!しあわせになれ!」
部屋でうずくまりながら
心の中で何度唱えても(危うい)
解決するわけがない。
引きこもっていると、
1日があまりにも長く感じられた。
「自分には価値がない」
目的を持つこと、向上心、成長するための姿勢、
新しいことへの挑戦、
どれも圧倒的に欠けていた。
変わりたいと思いながらも、
変化のきっかけさえ見つけられなかった。
「どうにかしてここを抜け出さなくちゃいけない」
そう思って、
僕は少しずつ貯金をすることにした。
一人暮らし〜あきらめの自己洗脳
未熟だけれどいちおう大人になり、
働いてお金を稼いだり、
自分で家を借りたりできるという知識を得ていた僕は、
アルバイトで貯めたお金で、
子供の頃に叶わなかったリベンジを果たすように、
家を出た。
(その後約8年半、家族との一切の連絡を絶った)
それまでの長すぎるトンネルを抜けて、
一人暮らしになった時の開放感はものすごかった。
まるで羽根が生えたように、なんでもできる気がした。
「やっと自分が思うように生きられる!」
自分で家事や買い物をして、働いて、自分だけの家に帰る。
そんな当たり前のことに自由を感じていた。
自分の力で生きているという実感が自信になった。
新しく勤めた職場での仕事も充実していて、
成績もそこそこよく前向きに働けていたので、
生活も心も、少しずつ豊かになった。
そこで出会った人たちともとてもいい関係を築けていたし、
職場で成果をあげるとみんなで盛り上げてくれたり、
休憩時間や会社の外では、
同僚とご飯を食べたり、
お酒を飲みにいったり、
部活で充実していた中学生の頃のように
毎日社交的に過ごしていた。
そこではじめての相方もできた。
その相方とは約11年間一緒に過ごした。
彼女はそれまでの自分の人生に欠けていた喜怒哀楽を分かち合う
僕にとっての新しい家族だった。
しかし次第に、
毎日変わらない労働、残業、
理不尽な扱いを受け入れないといけない立場、
決められた仕事を繰り返す日々にストレスが積み重なり、
職を転々とするようになった。
生活のために、お金のために働かなくちゃ。。
貧乏生活をおくりながら、
必死に自分に言い聞かせたのは、
「お金がなくたってしあわせになれる」
「暮らしていければ充分」
という、
お金がないことを前提にした、あきらめの自己洗脳だった。
心の中ではどうにかしたいと思っていても、
人の役に立つようなスキルも才能もない。
労働をする以外にできることなんて、
何も知らなかった。
そういえば、子供の頃に家出をしようとした時も、
生きていくためにできることを何も知らなかった。
無知は愚かだ。選択肢をなくしてしまう。
当時の僕はどうしようもなく、
日々のストレスをコントロールできない状態に陥った。
街で歩いていて誰かと肩がぶつかる度に不機嫌になったり、
レストランの店員の対応に不満を覚えて愚痴ったり、
普段の生活で起こることにいちいち苛立った。
疲れて自炊をしたくなくても外食ばかりできないし、
好きなときに好きな場所に旅行に出かけることだってできない。
「お金がなくたってしあわせになれる」
と言っていた人間は、
常にお金のことを気にして、縛られていた。
そんな自分を立て直すことができず、
自分自身の無知と未熟さ故に、
大切な新しい家族に別れを告げられた。
「自分には価値がない」
そう思った。
穴だらけの心に、
さらに大きな穴があいた。
人生がまっ白な白紙になった。
労働にまみれて〜同僚に詐欺にあい必死に貯めたお金を失う
はじめて家を出たときとは、
何もかもが正反対の独り暮らしになった。
徐々にまた一人で生きていく状況を受け入れていった僕は、
最低限の生活を確保するために、
肉体労働にいそしんだ。
誰にも頼れない、
自分の命をただ明日に繋いでいく毎日だった。
すこしでも心の余裕を持ちたくて、
ものを買ったりすることで満足感を得たくて、
朝も昼も夜も、仕事を入れて働きまくった。
夜勤が終わると、
仕事現場の近くで24時間開いている店に入って仮眠をとり、
始発の電車が動き出すとまた朝の仕事に向かった。
ほとんどまともに寝ることのできないこんな生活を
延々と繰り返した。
時間を削り、身体と精神を酷使しながらも、
新しいパソコンがほしいとか、旅行に行きたいとか、
そんなことをモチベーションにして
お金のために働いていた。
相変わらず音楽やエンターテインメントだけが
心の救いになっていた。
そんなある日、
何度も一緒に働いていて気心の知れていた同僚に、
突然、投資の話を持ちかけられた。
「一週間お金を預けてくれたら、運用して確実に増やして返せるよ」
という話だった。
僕はその同僚に時々ご飯を奢ってもらったりもしていて、
話しているとお金のことにも詳しそうだった。
「ただ貯金して眠らせておくのはもったいないよ」
と言われ、
無知な僕は、「そういうもんなのか」と、
ほとんど疑うことなくお金を預けた。
一週間後、彼に連絡してみると、
「今週はちょっと都合がつかなくて、来週まで待ってほしい」
とのこと。
次の週も、またその次の週も、
一向に「都合がつかない」と言われ、
どんどん先延ばしにされていき、とうとう連絡がつかなくなった。
すでに会社からも行方をくらませていて、手がかりはなかった。
僕は時間を削り、身体と精神を酷使して稼いだお金を失った。
「まさか自分が詐欺にあうなんて。。」
信じられなかった。
生きていくお金のために身を粉にして働くと、
自由な時間が失われ、やがて精神的な負担が大きくなっていく。
精神的な負担が大きくなると、新しいことに向かう活力が失われ、
食生活が乱れたり、身体の不調も起こしやすい。
そんなの当たり前じゃないか。
みんなそうやって我慢して働いているんだ。
そう思っていた。
もちろん汗をかいて働くことが好きな人だっている。
自分の生きたい生き方をするのは素敵なことだ。
働き方に善も悪もない。
ただ、まだ見えていない世界があること、
周囲の常識だけが当たり前じゃない、
新しい世界があるんだということを
僕は知ることになる。
インターネットビジネスと起業との出会い
と、ここで冒頭の話につながります。
僕は詐欺にあったことをある知人にポロっと相談しました。
「弁護士のところへ行ってみたら?」とアドバイスをもらい、
無料の相談に行ってみたけれど、どうやら依頼しても解決は難しそうでした。
僕はそのことについては泣き寝入りするしかありませんでした。。
でもその知人はある起業家のことを教えてくれました。
その起業家はインターネット上の動画でビジネスの知識を教えていました。
僕は労働の傍ら、隙間時間を使ってその動画を繰り返し聴きました。
最初は半信半疑だったし、
言っていることも「。。よくわからないな」と思っていたのだけど、
話を聴いているうちに、
「あれ?これってもしかして、今の状況を抜け出すヒントなのでは?」
と思うようになりました。
そこで語られていたのは初めて聞く話ばかりで、
衝撃的でにわかに信じられなかったけれど、
よくよく考えてみれば、
「なるほど」「たしかに」と思える、
決して現実離れした話ではありませんでした。
お金というのは必ずしも働いた時間に対して支払われるのではなく、
提供した価値に対して支払われるのだということ。
インターネットを使えば、
誰でもパソコン1台でたくさんの人に価値を与え、
収入を自動化する仕組みをつくることができるのだということ。
ネットビジネスの知識は
どんなジャンルにでも応用可能なのだということ。
稼いでいる人とそうでない人の違いは、
生まれつきの才能でも学歴でもなく、正しい知識を持っているかどうかと、
その知識をもとに仕組みをつくっているかどうかだということ。
僕はそれらの知識や考え方を、
労働に追われながらもひたすらインプットし続けました。
そのことをきっかけに視界が広がり、
世の中には個人でお金を稼いでいる起業家がたくさんいることも知りました。
パソコン1台で仕組みをつくりセミリタイアして自由に生きる起業家。
20歳で起業して年収3億円以上を稼ぐ起業家。
OLをやめてビジネス開始15ヶ月で月収400万円の起業家。
ビジネス開始2ヶ月で利益50万円の仕組みをつくった女子大生。
中学生・高校生で月収数百万円の起業家など。
彼らの多くはもともとビジネスの才能があったとか、
コネや人脈があったというわけではなく、
ゼロからのスタートで稼いでいるという共通点があります。
つまり正しい知識と行動があったから
稼げるようになったということ。
過去の僕は、周囲の当たり前を疑うことなく、
常識に流されるままに生きていました。
本当はやりたいことや好きなことがあってもそれに蓋をして、
本音をあきらめて、今と変わらない未来をただ受け入れて、
我慢して生きていました。
だからこそ、
ネットビジネスへの取り組みとこの発信を通して、
「選択肢をまだ知らないだけで、未来は変えられる」
「やりたいことをあきらめないための方法がある」
ということを伝えたい。
学んだ知識を使って、実践して、
またさらに知識を学んで、実践して、
というふうに、
すこしずつ成果が積み重なっていくのは、
ゲームみたいに自分を育てていくような感覚もあって
すごくたのしいです。
それと冒頭でも書きましたが、
いろんな知識に触れていると生活の質も上がって健康的になります。
加工食品がどうして身体に悪いのかわかるようになるとか、
あたまがよくなる習慣や運動、食べ物がわかるとか。
僕自身ビジネスを始めてめちゃくちゃ健康的になったし、
習慣を意識するようになり、体も締まりました。
これも知識の賜物です。
収入源を労働だけに依存すると、
身体の調子を崩して仕事を休んでしまったら
当然収入はなくなってしまいます。
でもインターネット上の仕組みは24時間365日働き続けます。
知識を学んで自分で稼ぐ力を身に付けることは、
そういった意味でも精神的な安定をもたらしてくれます。
他にも、どんな勉強法が効率がいいのかとか、
人の感情はどういう時にどんなふうに動くのかとか、
生きていく上での学びになることがたくさんあります。
勉強に縁のなかった僕が、
勉強がたのしいと思えるようになったのは、
間違いなくネットビジネスに出会えたからです。
これからもどんどん新しいことを学んで、
少しでも多くの価値を届けられるように成長していきたいです。
ーーーー宇里あかの物語終わりーーーー
あらためて、ブログのコンセプトのおさらい
僕のブログでは、
ただ消費する日々を、
たのしみをつくり出す日々に変える
そのために必要な、
金銭的な自由
時間的な自由
精神的な自由
身体的な自由
という考え方をベースに読んでもらえると、
とても読みやすいのではないかなと思います。
それでもまだ、
「それってやっぱりあたまのいい人だからできるんじゃないの?」
という意見も出てくると思います。
ここまでお話ししてきた通り、
僕自身、勉強や本を読む習慣すらなかったですし、
まったくビジネスの知識なんてありませんでした。
多くの起業家たちもまったくのゼロからスタートしています。
子供の頃からの当たり前は、変えていくことができます。
常に心が窮屈だった僕が、
未来に希望を持てる自分に変わることができました。
「おれはこういう人間だから変わらない」
僕はずっと家で聞き続けていたその言葉が大嫌いでした。
子供の頃、
口には出せなかったけど、
ずっと守り続けていた信念があります。
それは、
「人は絶対に変われる」
ということです。
失敗すると心が萎えて、
臆病になって、やがて挑戦することをあきらめてしまう。
それって誰もがそうで、僕もそうで、
当たり前のことなんです。
家出をしたくてもあきらめてしまったのは、
本当はやりたかったことをあきらめてしまったのは、
その方法も、その選択肢すらも
知らなかったからです。
だけど、
ちょっとしたきっかけと、知識と思考、
それらが組み合わさることで可能性が見えたら、
希望が見えたら、どんどん面白くなっていく。
日本人は幼少の頃から学ばないから
ビジネスのことを知らないだけで、
日本人の理解力や知識レベルで言えば
わからないわけはないんです。
学べば学ぶほどお金は増えていくし、
それによって時間も手に入る。
そしてまた学ぶことができる。
このタイトルにある「クリエイティブ」って、
独創的とか、創造的といった意味がありますが、
みなさんはどういうイメージを持ちますか?
たとえばアーティストとか、デザイナーとか、職人とか、
作家とか、映画監督とか、役者とか、アイドルとか。
そういった、一般とは少し離れた別の世界のことについて
イメージする人も少なくないのではないでしょうか。
でも僕はこの「クリエイティブ」という言葉について、
なにも特別な才能や、優れた技術を持っている人だけに
当てはまるものではないという想いを持っています。
それはどういうことか、
エンターテインメントを憧れや現実逃避で終わらせないために
僕は音楽などの芸術やエンターテインメントが大好きです。
それらに感動をもらい、うつくしさを教わり、救われて、
今まで生かされてきたと迷いなく言えます。
これまで、
日常のたのしみといえば主に週末のライブやイベント、
あとは家で音楽を聴いたりゲームをしたりといった
エンターテインメントでした。
ただ過去の自分にとってそれは、
実質的な利益にはならない消費行動で、
一時的に心を癒すための現実逃避のようなものでした。
そのただ受け取るだけというバランスに、
どこか違和感を抱えていました。
そこに僕の役割はなく、
自己重要感を感じることはできなかった。
けれど、
ただの消費行動だった体験も、
興味のあることや、好きなことも、
インターネットを使ったビジネスを学ぶことで、
正しい知識に沿った思考の型を得ることで、
自らが価値を生み出すための資産に変えることだってできる
ということを知ったんです。
好きなことって、ファッションでも、スポーツでも、
たべることでも、なんでもいいんですよ。
これまでやってきたこととか、
これからやりたいこととか。
別に専門家じゃないといけないわけじゃない。
正しい情報をもとに勉強すれば、
誰でもメディアを持ち、お客さんを持つことができる。
好きなことに使う時間を、
価値のあるものにできるようになる。
アーティストやクリエイターのようなセンスなんてなくても、
自分の思いや言葉、好きなことを発信し、
伝えていくこと。
会社や誰かに決められたことをやるだけじゃなくて、
依存するだけでも、ただ消費者になるだけでもなくて、
自分の選んだ生き方で、創造性を持って価値を生み出し、
誰かをしあわせにできること。
それがこのタイトルの意味であり、
僕がこのブログを通して実践し、伝えていきたいことである
たのしみをつくり出す日々に変える=「クリエイティブに生きる」ということです。
もう遅いなんてことは決してない。
「あきらめていた過去の自分、何も知らなかったな」
って、いまは思います。
まわりと比べるのではなく、
自分自身の変化と成長に目を向けて、学んで、
価値を生み、誰かを、自分を、しあわせにしていきたい。
僕の情報発信がきっかけで、
知識を学ぶことがたのしい!と思ってくれる人が増えて、
クリエイティブに生きるためのヒントを得てくれて、
未来を変えるきっかけにしてくれたらとてもうれしいです。
僕のメールマガジンでは、
インターネットビジネスの知識や、
ブログでは話さないようなことも話していきます。
いっしょにものがたりをつくりましょう。